国指定重要文化財

徳川家御霊屋 (本殿・合間・経殿・唐門・透塀)
国指定重要文化財(令和7(2025)年5月)
全景 北側中学校屋上より 御霊屋・本堂
現在の御霊屋は、寛政十年の建立になる。
近年、本殿の小屋裏を改めて調査したところ、北面妻壁にて大小二枚の棟札が発見された。
ともに寛政十(1798)年の年記がある。
九代藩主宗睦公が、藩祖源敬公百五十年、二代瑞龍院百年の御忌に当り、
二品前亜相尾陽候源敬公霊廟 寛政十年上棟
この時点では、徳川家御霊屋は、天明の大火後に、四新造として四廟を再建。

明治維新時に、神仏分離政策が行われた。
四廟を処分したため、その中に祀られていた位牌が、この御霊屋に集められた。
本殿の上段両脇に須弥壇(位牌壇)を増設した。
仏式権現造 本殿・合間・経殿は、連結して一棟の建造物を構成する。
経殿・合間・本殿の床は畳敷。
唐門と経殿は、縦布敷の石敷、現在は屋根をかける。
㈠ 本 殿 | |
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一 概要 | 桁行九間(27.70m)、梁間九間(24.49m)、一重、入母屋造、向拝三間付、軒唐破風付、本瓦葺。大棟の高さ六十尺(18.18m)規模。唐様。 |
二 平面 | 桁行南側一間を下段とし、奥三間を上段とし、ともに畳敷。上段梁間中央間の奥から半間目に、来迎柱を立て幅一間の来迎壁とし、その前に須弥壇を造り付ける。 上段両側面には奥行一間、幅二間の位牌壇を据える。 |
三 基礎 | 亀腹の上に柱礎石を据える。 柱礎石・縁束石とも切石、柱礎石間に地覆石を据える。 |
四 軸部 | 円柱、足固め、腰貫、地長押、内法貫、内法長押、頭貫、台輪、来迎柱、来迎壁。 |
五 組物 | 大斗、出組(枠肘木、方斗、巻斗)とし、通肘木には拳鼻を付けた肘木を組み、内側は天井桁、外は実肘木を載せて桁を受け、壁付は通肘木上で内外とも小天井を張る。中備は蟇股に巻斗を載せ、双斗を置き、小天井を張る。 |
六 軒廻り | 二軒、繁垂木。茅負眉欠、二重裏甲で布裏甲に切裏甲を載せる。 |
七 屋根 | 入母屋造、桟瓦葺。大棟は、肌熨斗瓦一段積、割熨斗瓦を一段積んでから輪違瓦三段に組み、さらに割熨斗瓦二段積に、輪違瓦三段に組み、紐付雁振瓦を伏せ、両端は鰓付の鬼瓦に鳥衾瓦で仕舞う。 隅棟は、台熨斗瓦に割熨斗瓦二段積、紐付雁振瓦を伏せ、鬼瓦に鳥衾瓦で仕舞う。 南面には、合間の屋根が取り付き、谷を造る。 |
八 妻飾り | 前包み、大斗、枠肘木、蟇股、実肘木、虹梁、大瓶束(結綿付)、破風(拝みに葵文)、蕪懸魚。 すべて銅版包み。 |
九 造作 | 寄せ、方立、戸当たり、根太、床板。床は、上段・下段とも畳敷き。 蝉宗様須弥壇(蕨手、逆蓮柱、地覆、平桁、加木、斗束、栭束、蓮斗、幕板)。 天井、下段は格天井(几帳面取)、上段は折上格天井(几帳面取)、来迎壁後は鏡天井。 縁は、高欄付小口縁(縁縁桁、隅扠首、縁板、擬宝珠付親柱、地覆、平板、架木、斗束、斗、栭束)とする。 |
十 柱間装置 | 正面中央間に両折桟唐戸、両脇を蔀戸、側面南第一間に両開桟唐戸、背面中央間に引違吹寄舞良戸を配す。その他は横板壁とする。 |
十一 金具 | 桟唐戸(軸摺受、軸摺、散らし八双)、蔀戸(隅金具)、長押釘隠(六葉、饅頭)、天井(辻金物)、高欄(笹金具、唄)、須弥壇(高欄隅出八双、出八双、葵文)。 |

殿上段 須弥壇 南より

本殿上段・下段 北西より
(二) 合 間 | |
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一 概要 | 桁行二間(4.62m)、張間一間(2.78m)、両下造、桟瓦葺。経殿より北面へ突出。 |
二 基礎< | 礎石切石、礎石間に切石の地覆石を据える。 |
三 軸部 | 面取角柱、地覆、腰貫、腰長押、内法貫、内法長押、頭貫。 |
四 組物 | 大斗、出三斗(大斗、枠肘木、方斗、巻斗)、実肘木、琵琶板、実肘木上に軒桁を載せ、虹梁を組み、蟇股を載せ、化粧垂木を受ける。 合間の桁行組物は、経殿の出三斗組を共用し、経殿際の合間の虹梁を受ける。 この虹梁は、経殿の軒梁と同じ位置になり、経殿の間に小天井張。 |
五 軒廻り | 二軒、繁垂木。 |
六 屋根 | 両下造、桟瓦葺。 大棟は、肌熨斗瓦二段積、輪違瓦を二段に組み、割熨斗瓦二段積に、紐付雁振瓦を伏せ、両端は本殿の妻と経殿の屋根に接し収まる。 |
七 造作 | 床は畳敷き(七畳半)。 無目敷居、無目鴨居、小壁横板、床下幕板。柱間に高欄(地覆、平桁、架木、斗束、斗、栭束)を入れる。 |
八 柱間装置 | 内法下開放、北麺長押上に菱欄間。 |
九 金物 | 長押釘隠(六葉)、高欄(笹金具、唄、出八双)。 神式権現造 東照宮では拝殿・石の間・本殿は、連結して一棟の建造物を構成する。 |

合間・本殿 南より

合間・経殿 北より
(三) 経 殿 | |
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一 概要 | 桁行三間(7.18m)、梁二間(4.86m)、入母屋造、桟瓦葺、正面一間向拝付。北麺に合間を突出する。 |
二 基礎 | 礎石切石、礎石間切石地覆石を据える。 |
三 軸部 | 角柱面取り、地覆、足固め、地長押、内法貫、内法長押、頭貫、台輪。 向拝は、木製礎盤、角柱几帳面取、虹梁、大斗、枠肘木、方斗、巻斗、実肘木、水引虹梁、 |
四 組物 | 大斗、出組(枠肘木、方斗、巻斗)とし、通肘木に拳鼻を付けた肘木を組み、内側は天井桁、外は実肘木を載せて桁を受け、壁付は通肘木上に内外とも小天井を張る。 |
五 軒廻り | 二軒、繁垂木。向拝繾破風、兎の毛通。背面合間との境は入隅になり、隅木が入る。 |
六 屋根 | 入母屋造、桟瓦葺。大棟は、肌熨斗瓦一段積、熨斗瓦に割熨斗瓦積んで輪違瓦三段に組み、割熨斗瓦二段積に、紐付雁振瓦を伏せ、両端は鰓付の鬼瓦に鳥衾瓦で仕舞う。 隅棟は、台熨斗瓦に割熨斗瓦二段積、紐付雁振瓦を伏せ、鬼瓦二鳥衾瓦で仕舞う。降棟は、肌熨斗瓦一段積、割熨斗瓦二段積、棟端は隅棟同様輪違瓦を一組入れ、紐付雁振瓦を伏せる。 北面には、合間の屋根が取り付き、谷を造る。 |
七 妻飾り | 前包み、大斗、枠肘木、蟇股、実肘木、虹梁、大瓶束(結綿付)、破風(拝みに葵文)、蕪懸魚。すべて銅版包み。 |
八 造作 | 戸当たり、敷居、鴨居、小壁板、正面木階三級。床は畳敷き(二〇畳)。 外部には切目縁を廻す。 |
九 柱間装置 | 正面及び背面中央間両折桟唐戸、その他の間はすべて蔀戸、内腰高障子引違。 |
十 金具 | 桟唐戸(軸摺受、軸摺、散らし八双)、蔀戸(隅金具)、長押釘隠(六葉、饅頭)、天井(辻金物)。向拝破風先(入八双)。 権現造とは拝殿・石の間・本殿の建屋と屋根が繋がる御霊屋(おたまや)建築。久能山東照宮、日光東照宮、名古屋東照宮等。石の間で立って神職はお勤めする。 仏式権現造 経殿・合間・本殿で住職は経殿で座ってお勤めする。 |

経殿 合間・本殿に繋がる 南東より

経殿 内部南面 北より
(四) 唐 門 | |
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一 概要 | 四脚平唐門、本瓦葺、南面。 |
二 基礎 | 唐居敷下基礎石、控柱下礎石、蹴放下布石、雨落内布石敷、正面石階段三級耳石付き、いずれも花崗岩切石。 |
三 軸部 | 本柱丸柱、唐居敷の上に立つ。頭貫、冠木、蹴放、楣、方立、藁座。控柱角柱、几帳面取棕付。礎盤。梁間方向に腰貫・頭貫・木鼻。桁行方向に虹梁(袖切、渦、欠眉付)・象鼻彫刻。 |
四 組物 | 控柱上に出三斗、虹梁上に蟇股、それらの上に丸桁。本柱上は外部が平三斗(拳鼻付)、内部が出三斗、頭貫上に蟇股、それらの上に梁。 |
五 軒廻り | 一軒疎垂木。 茨垂木(先端繰型)、茅負(欠眉付)、化粧小舞、化粧裏板(竪板張)、布裏甲、切裏甲。唐破風板(先端繰型、欠眉付)、兎ノ毛通、登布裏甲、登切裏甲。 |
六 妻飾り | 妻虹梁(袖切、渦、欠け眉付、虹梁尻繰型)、蟇股(斗、実肘木付)、琵琶板、登切裏甲。 |
七 小屋組 | 棟通りに妻虹梁繋梁、小屋束、化粧垂木掛、化粧垂木。これが螻羽では化粧棟木になる。 さらに束、野棟木、母屋、野垂木、野小舞、桔木、桁上に桔木枕。 |
八 屋根 | 本瓦葺。棟積は菊丸・輪違の組棟。 棟両端は鬼瓦仕舞い。土居葺。 |
九 柱間装置 | 桟唐戸、両内開。 |
十 金具 | 桟唐戸(軸摺受、軸摺、散らし八双)。 |
配置図 唐門(透塀)・向拝・経殿・合間・本殿
(五) 透 塀 | |
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一 概要 | 折れ曲がり五九間(東西間15.16m、南北間38.62m)両下造、桟瓦葺。東北隅に入隅を作る。 |
二 基礎 | 花崗岩切石二段積。 |
三 軸部 | 土台、角柱、腰長押、内法長押、棟木。 |
四 軒 | 腕木を出し、出桁を受ける。 |
五 屋根 | 野路流し板葺、土居葺に棟にルヒング張り、桟瓦葺。大棟割熨斗瓦二段積、丸雁振瓦。 南側の大棟隅四箇所に亀を載せる。 隅降棟割熨斗瓦二段積。 南側の棟端は鬼瓦で納めるが、北側入隅は熨斗瓦の小口を見せ拝巴瓦で納める。 |
六 柱間装置 | 長押間に吹寄せ菱格子、棟木と内法長押の間に横連子入り。 |
七 金具 | 長押釘隠(六葉)。 |

唐門・透き塀内部 北西より

透塀 外部北東角部 北より

透塀 内部向拝・経殿 南より

本堂 建中寺の根本道場
国指定重要文化財(令和7(2025)年5月)
名古屋市指定有形文化財(平成11(1999)年4月20日指定)
本堂 正面 南より
慶安五(1652)年2月に大殿で落慶。
天明五(1785)年の大火で焼失。
同六年に再建された、当時は源敬公の御霊屋として位置付けられていた。
棟札に「ニ品前亜相尾陽候源敬公霊廟上棟」
天明六丙午穐八月十九日
建中寺自体が霊廟で、本堂が藩祖敬公霊廟であり、尾張徳川家が創建・再建したのが伺われる。
本 堂 | |
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一 概要 | 桁行九間(27.70m)、梁間九間(24.49m)、一重、入母屋造、向拝三間付、軒唐破風付本瓦葺。 大棟の高さ六十尺(18.18m)規模。 唐様。 |
二 平面 | 間取りは、正側三面に幅二間、背面に幅一間の広縁を廻らし、その内方前半の間口一〇間、奥行四間を外陣、後半中央の間口四間、奥行四間半を内陣とし、その両脇の間口三間、奥行三間半を脇の間とし、 これらの正側三方に落縁を廻らしている。 |
三 基礎 | 亀腹の上に柱礎石を据える。柱礎石・縁束石とも切石、柱礎石間に地覆石を据える,、雨落内布石敷、向拝石階段二級、いずれも花崗岩切石。 |
四 軸部 | 柱は、内陣、脇の間の周囲と来迎柱を丸柱とする、他は面取角柱とする。 |
五 組物 | 周囲柱間では、頭貫・台輪を通し、出組斗栱をのせ、中備に蟇股を入れ梁。内陣丸柱は来迎柱を立て、柱上には虹梁・台輪を通し、柱頂に出組斗栱をのせ梁。 内陣、脇の間は、前面の柱列揃え、柱上に頭貫・台輪を通し、拳鼻付出組斗栱をのせ、中備に蟇股を入れ梁。 |
六 小屋組 | 和小屋とする。桔木に小屋梁、小屋束、棟繋ぎ、棟木。五重梁まで組む。 |
七 軒廻り | 二間半繋垂木、木負、茅負、布裏甲、小口裏甲、軒付を重ねる。 |
八 妻飾 | 二重虹梁大瓶束、破風の拝み(葵文)と、降りに大柄の猪目懸魚を吊っている。 天明の大火時は木部で、飛び火により延焼した。 防火対策で、すべて銅板包みとした。 |
九 屋根 | 入母屋造、本瓦葺。大棟、下り棟、隅棟の端部には鰭月の鬼瓦に鳥衾瓦で仕舞う。 南面には、向拝の屋根が取り付き、谷を造る。 土居葺。 |
十 向拝 | 向拝は、礎盤上に几帳面取角柱を立て上に虹梁を渡して両端に象鼻を出し、柱頂に三斗・実肘木付を載せ、両脇の柱上には連三斗をおき、中備に蟇股を入れ、側柱からは海老虹梁を渡し、向拝屋根には唐破風を上げている。 向拝には五段木階を付け、この両脇の登り高欄は堂正側面の切目縁の擬宝珠高欄につながる。 |
十一 造作 | 堂内は、広縁では板張りとして棹縁天井を張り、両端広縁の内・外陣境の柱筋に杉戸引違いを入れている。 外陣では、広縁との境に無目の敷居、鴨居、内法長押を通して開放し、内法上を小壁とし、正面中央柱間のみ内法を上げて虹梁を入れ、内部を八四帖の大空間とし、内法上では蟻壁を廻して格天井を張っている。 内陣、脇の間は、前面の柱列を揃え、中央柱間三間では内法を上げ、脇の間を含めた各柱間に鴨居・内法長押を通し、彫刻欄間を入れ、中備に蟇股を入れ、内陣前面と両側三間の柱間に中敷居(結界)を通し、これを脇の間の背面にまで延ばし、凹字形の結界を形づくっている。 脇の奥では、幅一間の通路を隔て後方に位牌壇を構えており、通路ならびに位牌壇の前面では大虹梁を渡し、格天井を張っている。 内陣内部では、中央後方に、前に禅宗様須弥壇を設けている。 折上格天井を張っており、脇仏壇には開山ならびに宗祖法然の木像を安置している。 なお、堂背面では後門を開いている。 中央柱間では双折桟唐戸を吊り、登高欄付の六級木階を設け、礎盤に几帳面取柱を立て、虹梁を渡し、連三斗をおき、内方に手挟を出し、軒下から屋根を下し、後方の徳川家御霊屋との通路としている。 |
十二 柱間装置 | 堂周囲では、柱間に敷居、鴨居、縁長押、内法長押を通して内法上に白漆喰を塗り、正面中央三間では桟唐戸を吊って内側には障子を入れ、その他では板戸二枚、障子一枚で、戸締りするが、現在正面両端ならびに両側面前端の柱間を嵌め殺しの窓に改めている。 |
平面図 向拝-落縁・内部広縁-外陣-内陣須弥壇

内陣 須弥壇 南より

外陣より内陣を見る。柱列に結界を形成。南西より平安時代の初めから神仏習合の考えが有り、仏教が我が国に伝来した時には、それまでの神は、仏が姿を変えたものと読み替えてきた。
本堂の結解東西の板戸には、唐獅子が描かれている。
又、結界の中央部欄間上に鏡を揚げている。
明治維新時に、希釈廃仏が始まり、神仏分離政策が行われた。

東板戸 唐獅子 裏側は桜が描かれている

西板戸 唐獅子 裏側は梅が描かれている
建造物

三門(三間重層門)
名古屋市指定文化財(昭和六十年指定)
慶安四年(1651)創建当時の建築物で、総檜造り三間重層門の建築様式で、本瓦葺きである。
三門とは、空門・無相門・無願門の三解脱門の意味を持つ。
佛教の覚りの境地を表すものである。
別名山門とも表記する。
この場合は徳興山という山号に因んだ名称で、徳興山の門という意味となる。
二階には、釈迦牟尼仏を中心として十六羅漢の像が祀られている。普段は公開していない。

書院(客殿)
昭和39年当山34代徳誉上人が再建したものである。
名工大竹利左衛門の設計による壮麗なものである。

明王殿(不動堂)
昭和四十四年(1969)の再建で、本尊不動明王は、江戸時代から尾張徳川家戦勝祈願の秘仏として伝えられてきた大変貴重なものである。
普段前立て本尊が正面に安置してあるが、その奥に秘仏が安置されている。
秘仏は非公開である。厄除け、開運、家内安全、交通安全、病即消滅、商売繁盛など霊験があらたかで、地域の信仰を集めている。
毎月二十八日には縁日のご祈祷、五月と十一月の縁日には護摩焚きが行われる。
また南側の部屋には不動堂を再建した当山三十四世愍瑞上人の木像が安置されている。

不動堂内部

鐘楼
名古屋市指定文化財(昭和六十年指定)
天明七年の再建で、入母屋造り本瓦葺き、台形の袴腰つきの建築様式、五百貫の(1,923㎏)の梵鐘がつるされている。
梵鐘には林道春(羅山)の銘が刻まれていたため、戦時中の供出を免れ現在まで伝えられている。
毎年暮れには除夜の鐘をつき一年間の罪障消滅と来る年の息災を祈る人で賑わう。

開山堂
名古屋市指定文化財(平成十二年指定)
棟札によると、火災消失の後天明六年(1786)に再建された。
大工は斎谷小一郎藤原長虎(さいやこいちろうふじわらながとら)とされている。
寄せ棟造り桟瓦(さんがわら)葺き総欅造りで、建中寺の伽藍建築を理解する上で貴重な遺構である。
本尊阿弥陀如来を中心として建中寺の開山上人中興上人の木像を安置し、代々の住職の位牌が祀られている。

経 蔵
名古屋市指定文化財(平成十一年指定)
一重もこし付、宝形造り本瓦葺き。
内部に精密な八画輪藏を安置する。棟札によると文政十一年(1828)創建。
經藏建立の発願は第二十四世金蓮社申譽上人白阿瑞華弁靈大和尚で、その志を継いで第二十五世辨純上人、第二十六世辨成上人の三代を経て完成した。
平成十六年(2004)に第三十五世賢瑞上人により名古屋市の文化財補助と貴重な一般寄付者からの浄財をもって平成の大修理が完成した。
内部の八画輪藏内には鉄眼禅師開版の黄檗版大蔵経五千八百巻が納められ、実際に輪藏を回転させることができる。
当輪藏は、軸部・組物様態など唐様を基本として、虹梁・蟇股・長押に和様の要素を取り入れている。
全体に彩色はないが、良質の欅材を主材として木鼻・蟇股などに精緻な細工・彫刻を施している。
特に側回り八面の蟇股に彫刻されている意匠は、縁起の良い福徳を将来するとされる独特の「宝ずくし文」である。
すなわち①東面 七宝に丁子 ②北東面 金嚢 ③北面 宝鑰に宝珠 ④北西面 軍配団扇に宝巻 ⑤西面 宝船に分銅 ⑥南西面 隠れ傘に丁子 ⑦南面 隠れ蓑 ⑧南東面 打出の小槌に俵 以上八面の蟇股には独特な彫刻意匠が施されている。
輪藏を回すことにより、福徳が招来されることを願っての彫刻であるとも考えられる。
輪藏の回りには、釈迦牟尼仏を中心として、その教えである大蔵経をもってそれぞれの宗旨を立てたという意味から日本に伝わる十三宗の祖師像を安置している。
これらの像は昭和八年に岡田天孝仏師のよって刻まれたものである。
文化財

本尊『阿弥陀如来」

三門楼上の釈迦牟尼佛

建中寺建立大発願国主尾張
徳川家第二代藩主光友公の筆
(当山開基)徳川光友公の筆になる三幅対

三門楼上 釈迦
牟尼佛と十六羅漢

不動堂
